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Terrorist
テロの犠牲者たち
   

9月11日のテロ事件から2ヶ月が過ぎました。
先月号のカルチャークラブでは、様々な人達にこのテロ事件に関しての意見を書いていただきましたが、今月はこの事件で亡くなった方達、特にカリフォルニアの犠牲者の方々について書いてみたいと思います。
今月号の記事を読んだ感想を是非BYBまでメールしてください。

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9月11日火曜日、愛する人や家族のもとに帰るため、あるいは商用で --- テロリストにより破壊されたカリフォルニア行きの4機に搭乗していた人達は、誰一人、その日が彼等にとって最後の日になろうとは思ってもいなかったことでしょう。

------ Flight 77 (77便)

Ruben Ornedo (ルーベン・オルネド)
ルーベン・オルネド、39才、イーグル・ロック在住、は、次の週、ロス・アンジェルスに向かう予定だった。彼はボーイング社でサテライト・コミュニケーション・エンジニアとして勤務していた。ワシントンでの出張が長引く中、新婚3ヶ月、そして妊娠中の妻に会うために、どうにか時間をみつけて計画した1日か2日の急ぎの旅だった。

「彼はただ、妻に会うだけで充分だったのさ。」と、彼の兄、Eduardo Ornedo (エデュアード・オルネド)博士は言った。ルーベンは、フィリピン生まれで、小学生の時に家族と一緒に合衆国に移民した。彼はフェアファックス高校を卒業後、UCLAに入学し、コンピューター・エンジニアリングの学位を取得した。

旅行が好きで、スポーツマンで、ハイキングやマウンテン・バイクを楽しんだ。また、購入したばかりの家を丁寧に手直ししていた。Home Depot に行く事が、彼の「趣味」のひとつだったと、兄は言った。

彼の死は家族に衝撃を与えたと、義姉の Stephanie Ornedo (ステファニー・オルネド) は言った。
「私たちには、彼が死んでしまったなんてまだ信じられない。」
と、彼女は言った。

Chandler Keller(チャンドラー・ケリー)
スキー、サーフィン、川下り --- 彼は、突風の友達であるかのようにに生きた。チャンドラー・"チャッド"・ケラーもまた、自然に挑戦するスポーツが好きだった。29才の前途有望なエンジニアーは、エル・セグンドにあるボーイング・サテライト・システムズに勤務していた。

「彼は何事にも恐れず、挑戦するのが好きだった。」と、彼の父親、Richard Keller(リチャード・ケラー)は言った。

子供の頃、ロケットが大好きで、マンハッタン・ビーチで、夜、何度も、父と一緒にロッケットを発射させた。家族はまた、南カリフォルニアに落ち着くまでは、ホンコン、オーストラリア、そしてニューヨーク市に住んだことがある。

彼は、トーランス高校卒業後、コロラドの大学で航空宇宙エンジニアリングを学んだ。

「彼は素晴らしい人でした。みんなが、彼といつも一緒にいたいと思わせるような人でした。」
と、彼の妻、Lisa Hurley Keller (リサ・ハーリー・ケラー) は言った。彼らは去年結婚した。

彼にはまた、母親と二人の兄弟がいる。

Christopher Newton(クリストファー・ニュートン)
出張旅行が多い企業戦士のように、クリストファー・ニュートン、39才も、家に帰るのを楽しみにしていた。サイプレスにあるワーク・ライフ・ベネフィッツの社長で、会社の役職に就く人たちを対象に、仕事と私生活とのバランスなどについてのコンサルタント業務を行っていた。ほとんど東海岸との往復で、年に 330,000km 移動した。

結婚15年になる妻と7才と10才の二人の子供たちのために、もっとたくさんの時間をいっしょに過そうと、彼は今年、家族と会社を北ヴァージニアに移した。彼は会社の整理をするために、火曜日、ロサンゼルスに向かった。

「何て皮肉なことなんだ。東海岸に移って来たのは、家族との時間をできるだけ多くしようと考えてのことだったのに。」
と、友人であり同僚でもある、Denise Markley (デニス・マークレイ)は言った。ニュートンは、両親が今も住むロング・ビーチで育ち、カリフォルニア州立大学サン・ルイス・オビスポ校とUCLAで学位を取得し、教会の聖歌隊のメンバーだった。彼には兄弟もいる。

「世間は本当に善い人を失いました。彼は将来のことを一生懸命考えていました。」
と、彼の母親、Barbara Nweton (バーバラ・ニュートン)は言った。

Mari-Rae Sopper(マリラエ・ソパー)
マリラエ・ソパー、35才は、ワシントンで弁護士をしていた。スポーツが好きで、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校で女性体操のコーチを務めるために、弁護士事務所を退職して、やっと教師になったところだった。

それで、77便に搭乗した。

独身でシカゴ出身の彼女は、合衆国海軍学校で体操のコーチをするかたわら、軍法会議長付き弁護士も勤めた。また、コロラド体育大学とダラスのジュニア・オリンピック・センターでコーチとして勤務した。

サンタ・バーバラの彼女の顔をも知らない同僚たちは、電話での彼女の興奮ぎみな声と、コーチとして誇り高い評判を持つこと意外は彼女のことを全く知らない。

「彼女の経歴 --- ダンス、振り付け、学歴プラスコーチとしての豊富な経験が、当校の女子学生のプログラムにとって、新しく、且つ刺激になると期待していました。」と大学の出版部は言った。

シュメルッアー・アプタカー・アンド・シェパード法律事務所の同僚たちは、彼女が夢を追いつづけることを称賛した。
「彼女は弁護士でいるより、自分がより自分らしく、しあわせな生き方を選んだのです。そして我々は、彼女を応援しました。」
と、事務所長のTom Esslinger(トム・エスリンガー)は言った。

Yeneneth Betru(イェネネス・ベトル)
エチオピア生まれ、サウジ・アラビア育ち、イェネネス・ベトル、35才は、留学生として若い時に合衆国に来た。コロラドの寮制学校に入り、ロス・アンジェルスのロヨラ・メリーマウント大学で学んだ。彼は医者になりたかった。ミシガン大学で医学を専攻し、学位を取得した。「彼は、小さい時から医者になりたいと思っていた。いつも、病人を助けたいと思っていた。」と、彼の兄弟のひとり、Sirak Betru(シラク・ベトル)は言った。

彼はバーバンク在住で、医療業務のディレクターだった。

彼にとって77便は接続便だった。彼はエチオピアに行っていた。
「彼は、そこである女性に出会った。そのことを僕に言うつもりだった。でも、そのチャンスは永遠に来ない。」
と、シラクは言った。彼には、両親と二人の兄弟がいる。

Dora Menchca(ドラ・メンチャカ)
彼女は、人命を救いたかった。
ドラ・メンチャカ、45才、サンタ・モニカ在住は、サウザンド・オークスにある人間工学会社アンゲンで薬品研究チームを指導していた。そのため、ワシントンのFDA(食品及び薬品管理局)の役人に前立腺癌用新薬の説明をするために予定された旅だった。

「彼女は患者を助けるために、これらの薬品を開発することに一生懸命でした。」
と、同僚のDavid Goodkin(デイヴィッド・グッキン)は言った。 

彼女と夫のEarl Dorsey(アール・ドーシイ)には、二人の子供たち、Jaryd(ジャリッド)、5才、そしてImani(イマニ)、18才、ポートランド大学在籍、サッカー選手、がいた。

アムゲンでの同僚たちは、メンチャカは、伝染病学を学び、UCLAで博士号を取得し、必要であれば夜遅くまで精力的に研究していたことを覚えている。

「ドラは、いつも患者にとってチャンピオンでした。」
と、アムゲン社会長、Kevin Sharer (ケヴィン・シャー)と他のトップ・マネージャーたちは、社の声明で述べた。

「彼女はとても愉快な女性でした。彼女はいつも笑っていました。」
と、同僚でもあり、友人である Mary Ann Foote(メアリー・アン・フート) は言った。

Suzanne Calley(スーザン・コーリ)
スーザン・コーリ、42才は、夫、Frank Jensen (フランク・ジェンセン) と、サン・ホセの南、サン・マーティンの田舎に住んでいた。

彼女はアウトドアースポーツが大好きで、冬にはタホ湖でスキーを、モントレイ、ハワイ等ではスキューバダイビングを楽しんだ。夫婦は、彼女がワシントンに行く直前まで、カリブでダイビングをしていた。

カリフォルニア生まれ、カリフォルニア州立大学チコ校卒業。彼女は、サン・ホセにあるコンピューター・ネットワーク大企業シスコ・システムズで勤務していた。

「スーザンのエネルギーと熱心さは相当なものでした。それがみんなに伝わってきて、みんなが熱中したものです。彼女は友人や同僚から尊敬され、彼女を知る全ての人たちが、寂しく思うでしょう。」
と、シスコは声明を出した。

「彼女は楽しみを一杯持っていて、元気な女性でした。とてもしっかりした女性で、幸せな生活を送っていました。」
と、彼女の隣人、Diana Christie (ダイアナ・クリスティ) は言った。

彼女には、両親と兄(弟)がいる。

「私は人生そのものより、彼女をもっと愛した。」と、夫は言った。彼らの20回目の結婚記念日は水曜日だった。

Wilso & Darlene lagg (ウイルソン、ダーリーン・フラッグ)
ウイルソンとダーリーン・フラッグ、両者63才、は、ロング・ビーチで育ち、高校時代から恋人同士だった。ウイルソンが合衆国空軍士官学校卒業後、結婚した。彼は海軍少将の地位に昇りつめたほど優れたキャリアを持つ。 

77便に乗る前、彼らはアナポリスで開かれた40回目の同窓会に出席した。 

ウイルソン・フラッグは、F-8クルセイダー超音速機でべトナムの空を飛んだ。どのパイロットよりも多くの飛行経験がある。そして、べトナム戦争後、写真偵察隊の任務についた。1987年、彼は海軍少将になり、海軍基地での最高将校の一人としてペンタゴンで勤務し、1995年に海軍を除隊した。 

「もし、あなたが一度彼らに会ったなら、あなたは生涯、彼らの友人になるでしょう。彼らは友情をとても大切にしていました。」
と、Leo Willetts(レオ・ウイレッツ)、親友でもある海軍の同僚は言った。

------ Flight 93 (93便)
ユナイテッド航空 93便、ユージャージー州 ニューワーク発サン・フランシコ行きは、ペンシルバニア西方に墜落した。

Richard Guadagno(リチャード・ガダンゴ)
生物学者のリチャード・ガダンゴは、ニュージャージーに住む両親と妹に会い、カリフォルニアのカッテンに戻るところだった。 

ガダンゴは合衆国魚類/野生生物局に勤務していた。彼の上司、Dave Paullin (デイヴ・ポーリン)は、ガダンゴはデラウェアやオレゴンの保護地帯を含め、17年間、野生生物の保護に専念し、模範的キャリアを持つ人物だったと言う。 

「彼はまじめで、その仕事に一生懸命身を捧げた。」
と、ポーリンは言った。

ガダンゴは独身だった。しかし、最近婚約したところだった。彼には、両親と妹の Lori (ロリ) がいる。

Lauren Grandcolas(ローレン・グランドコラス)
ローレン・グランドコラス、36才、は、西海岸に向かった機内から夫のJack(ジャック)に電話した。あいにく彼は留守だったので、メッセージを残した。彼女は、機内で何か起こった。でも、大丈夫と思う。夫と自分の家族をとても愛している。と伝えた。

グランドコラスは、サン・フランシスコにあるグッド・ハウスキーピングという雑誌の販売責任者だった。夫とはテキサス大学時代に知り合った。

夫婦は、湾岸地帯に15年間住んだ。

Alan A. Beaven(アラン・エイ・ビーヴェン)
アラン・エイ・ビーヴェン、48才、3児の父親、ニュージーランド出身の弁護士、は、1年間の休暇をとってインドにあるシッダ・ヨガ瞑想で法律顧問としてボランティアに行くはずだった。

ビーヴェンは、ニューヨーク州南フォールスバーグにある瞑想協会合衆国本部で仕事をして、訴訟和解協議のためサン・フランシスコに戻るところだった。

エミリイヴィルの住人の彼は環境法の専門家で、汚染問題で原告側の代表を務めてきた。彼は以前、ロンドンで刑事専門法廷弁護士、及びロンドン警視庁検察官として勤務していた。

「彼はまさに、環境法弁護士として輝くスターのひとりだった。」
と、ビーヴェンとは長年の弁護士仲間の Tabacco(タバッコ)は言った。
「彼は優秀な法廷弁護士だった、そして家族に身を捧げていた。彼は仕事と家庭を上手に両立させていた。」

彼には妻のキミ、そして5才になる娘の Sonai(ソナイ)がいる。また、以前結婚していたときにもうけた、二人の大学生の息子、John(ジョン)と Chris (kurisu)がいる。

Todd Beamer(トッド・ビーマー)
トッド・ビーマー、ニュージャージー州クランベリ在住は、オラクル・コーポレーションの会計部長で、二人の幼い子供たちの父親だった。彼は商用でサンフランシスコに向かっていた。

「彼はとても家庭的でした。教会においても活動的でした。誰からも尊敬され、私たち家族の誇りでした。とても立派な男性でした。いつも他の人にも親身になって世話をし、優しい男性でした。」と、妹の Michele Beamer(ミッシェル・ビーマー)は、涙を一杯目に浮かべて言った。

ビーマー、32才には、妻、Lisa(リサ)、二人の息子、David(デイヴィッド)3才とAndre(アンドレ)1才、姉、Melissa Wilson(メリッサ・ウィルソン)と Mitchell Beamer (ミッシェル・ビーマー)、そして両親がいる。

Thomas E. BurnettJr.(トーマス・イー・バーネット・ジュニアー)
トーマス・E・バーネット・ジュニア、38才は、心臓病患者用医療装置を製作する会社の重役で、ニュージャージーにある子会社での用事を終えた帰りだった。彼が乗るはずだった飛行機は少し遅い便だったが、少しでも早く家族に会いたくて、予定を早めたのだった。サン・ロマン在住の彼は、ソラテック・コーポレイションの副社長兼事業運営責任者であった。彼は、3女 --- 3才と5才の双子の父親だった。

ソラテック社長、D. Keith Grossman (ディ・キース・グロスマン) は、
「バーネットは、"極めて頭脳明晰な男"で、愛情豊かで、鋭い理知性と "善悪の確かな判断" を兼ね備えていた。」
と、語った。

彼は歴史を熱心に勉強し、彼のオフイスには、アブラハム・リンカーン、セオドレ・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルの胸像がおいてある。

度々出張で家を留守にするバーネットは、彼にとって最期のフライトとなった機内からも妻、ディーナに4回電話をかけた。彼は妻に、飛行機がハイジャックされ、自分と他の乗客たちがそれを阻止する行動に出ると言った。

「彼は、自分の人生を振り返ったり、さよならを言ったり、素晴らしい事を言いませんでした。彼は、いつものように、問題を吟味し解決策を考えていました。彼は家に帰ってきます。当然のことだわ。」
と、デルタ航空で機内乗務員として働いていた時に夫と知り合った妻のディーナは言った。

Mark K. Bingham(マーク・ケイ・ビンハム)
マーク・ケイ・ビンハム、31才は、身長192cm、学生時代はラグビー選手として活躍し、広報会社を創設し、世界中を旅行し、今年の夏、スペインのパンプロナで雄牛たちと一緒に走り回るほど豪快な男だった。

彼は最近、サン・フランシスコからニューヨークに移り、家族に会うために93便に乗った。彼は、ハイジャックされた機内から、叔母(伯母)とユナイテッド航空の乗務員をしている母親、Alice Hoglan(アリス・ホグラン) に電話をした。彼は、事態はかんばしくはない、お母さんとおばさんを愛していると言った。

彼の親類たちは、ビンハムは、ハイジャッカーを妨害する行為に出たと信じている。
「私たちは、ホワイトハウスかどこかに墜落するはずの飛行機が、彼が起こした行動によって、その代わりに森の中に墜落したのだと思っています。」
と、彼の伯父(叔父)Linden Hoagland(リンデン・ホーグランド)は言った。

彼はサン・ホセの南にあるロス・ガトスで育ち、カリフォルニア大学バークレー校卒業後、自分で科学技術広報会社、ビンハム・グループを設立し、サン・フランシスコとニューヨークにオフイスを構えた。

去年、彼はサンフランシスコでゲイ・ラグビー・チームの最初の選手たちを勧誘し、訓練した。
「彼は、明るく、人を元気づけ、立派な奴だったさ。」と、チーム仲間の Bryce Elberhart (ブライス・エルバート)は言った。

彼には、母親、伯母(叔母)、叔父(伯父)3名、母方の祖父母といとこ達がいる。

------ Flight 11(11便)
乗客81名と乗務員11名搭乗の、ボストン発ロスアンジェルス行きアメリカン・エアラインズ11便は、世界貿易センター北タワーに激突した。

Carolyn Beug(キャロライン・ボー)
サンタモニカ在住のキャロライン・ボー、48才は、映画製作者として、ビデオ・プロデューサーとして活躍し、90年代放送されたヴァン・ヘイレン・ビデオ制作、"ライト・ナウ(Right Now)"で賞を獲得した。彼女はまた児童書も手がけていた。ノアの箱舟の物語で、ノアの妻の目を通して物語を展開させようとした。

王朝スタイルの家に住み、隣人にとても人気があった。サンタ・モニカ高校女子陸上チームのために、毎年、裏庭でバーベキュー・パーティを催した。双子の娘たち、Lauren (ローレン)と Lindsey Mayer-Beug (リンゼイ・メイヤー-ボー)、18才、は、チーム・キャプテンを勤めあげた。彼女はその娘たちにとって、最高のチアリーダーで、チームの準備運動中の時も毎回、応援に駆けつけた。

彼女は、ワーナー・ブラザーズ・レコード部問映画製作副社長を勤める夫、John(ジョン)とNicky(ニッキー)、13才の息子がいる。

「キャロラインは、双子の娘たちをとても誇りに思っていました。何をするにしても思いっきり楽しみ、情熱的でした。いつも、子供たちが楽しめるように、何か面白いことを考えていました。」
と、彼女の隣に住む、映画プロデューサーの Denise Di Novi (デニス・ディ・ノヴィ)は言った。

ボーは、母、Mary Alice Wahlstrom(メアリ・アリス・ウォルストロム)、75才、と一緒にアメリカン航空11便に乗った。彼女は娘たちをロード・アイランドデザイン学校に送り終え、その帰路の途中だった。

James and Mary Trentini (ジェイムズ、メアリ・トレンティニ)
トレンティニ夫妻、マサチューセッツ州ロウリー在住、は、アーバインに住む娘家族を訪問するためにロサンゼルスに向かった。 

ジェイムズ、65才、は、かつて高校教師、理事及びコーチとして、メアリ、67才、は、高校運動競技の管理アシスタントとして従事し、その後退職。彼らの子供たちは西海岸から東海岸にわたってばらばらに住んでいる。一人息子はフロリダに、娘二人はマサチューセッツに、もう一人の娘、Patti Trentini (パティ・トレンティニ)は、アーバインに住んでいる。彼らには4人の孫がいる。 

月曜日の夜、メアリとパティ、41才は、旅行計画についておしゃべりしたところだった。

メアリはスーツケースを余分に用意して、2才と3才になる孫娘のために玩具や自分で作った洋服を詰めていた。

Doug Stone(ダグ・ストーン)
ストーン、54才、ニューハンプシャー州ドヴァー在住、印刷店経営者は, 東海岸で落ち着いていたはずだったが、ロス・アンジェスにしょっちゅう足を運んだ。2-3週間おきに、ロス・アンジェルスに住む息子の Zach(ザック)と、前妻かつ仕事上の提携者、Beth(ベス)に会いに行った。

ニュー・イングランド州生まれで、カリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校卒業。離婚後、1980年代終わりごろ、東に移った。 

「彼は25年間、私の大親友でした。ただ、結婚がうまくいかなかっただけ。」
と、ベス・ストーンは言った。

ロサンゼルスはしょっちゅう訪れており、ファウンテン・バレー高校で息子が活躍する陸上競技やクロス・カントリーを見た。

今回の旅行は、息子がUCLAに入学したからだった。

「父は本当に正直でまっすぐな人でした。父は自分が思ったことを言い、嘘のつけない人でした。」
と、UCLAの新入生、ザックは言った。

Deora Bodley(デオラ・ボドレイ)
サンタ・クラーラ大学3年生、心理学とフランス語専攻するデオラ・ボドレイ、20才、は、子供たちの家庭教師として、サンタ・クラーラにあるカトリック系小学校2年生担当教師のアシスタントとして夏休みを過ごした、と Kathy Almazol (キャシイ・アルマゾル)校長は言った。 

「デオラは、友達にもそうしているように、子供たちにも、いつも礼儀正しく接していました。そして子供たちもそれに応えていました。彼女は良きお手本となり、とても楽しい女性でした。」
と、アルマゾル校長は言った。

サン・ディエゴにあるラ・ホヤ・カントリー・デイ高校を卒業し、陸上チームの一員で、特別オリンピック、エイズ・サービス・グループ等の団体でボランティア活動もしていた。

彼女には、父親、Darril Bodley (ダリル・ボドレイ)と母親、Deborah Guerra(デボラ・ゲラ)がいる。

----- Flight 175 (175便)
ボーイング767、ボストン発ロスアンジェルス行きユナイテッド航空175便は、乗客56名と乗務員9名を乗せたまま、世界貿易センター南タワーに激突した。

Lisa Frost(リサ・フロスト)
リサ・フロスト、22才は、は、5月にボストン大学をクラスの首席で卒業した。夏休みのアルバイトを終え、両親に会いに行くところだった。 

サン・フランシスコで職を探す前に、南オレンジ郡のランチョ・サンタ・マルガリタに住む家族と、数日過ごす予定だった。彼女はちょうど、ボストンの食品雑誌でのアルバイトを終え、ワイン業界での仕事、またはその分野の研究をするために地方の大学への入学を考えていた。 

雑誌社での最後の仕事は金曜日だった。スタッフは彼女を朝食に誘い、フロストは、サン・フランシスコ支社発行雑誌 ‘Where To Eat’ での仕事の可能性を話した。 

「娘は、まさに自分の人生を始めるところだった。」と、彼女の父、Tom Frost (トム・フロスト)は言った。

彼女は、飛行機に乗る前に電話をかけた。
「私は、愛していると言いました。彼女もまた、私を愛している、じゃぁ、また後でね、と言いました。」
と、トム・フロストは、言った。 

彼女には、両親と18才の弟、Daniel(ダニエル)がいる。

Maclovio 'Joe' Lopez Jr.(マッコヴィオ・'ジョー'・ロペス・ジュニア)
マッコヴィオ・‘ジョー’ロペス・ジュニアは、建設工事作業員で、ボストンでの短期勤務を終え、ノーウォークに住む妻子の元に帰れると胸を弾ませていた。

「父は強くたくましい男性でした。でも、私の卒業式で泣いてたわ。とても頑丈で、そして爪を噛む癖があったわ。こんな形で父が奪われるなんて、どうしても納得できません。私には、分かるわ、父が座席に何もせずに座ってたとは思わないわ。」
と、Dannette Lopez(ダネッテ・ロペス)は言った。

コロラド州プエブロで育ち、建設工事に携わる前は色々な仕事に就いた。

彼は22年前に結婚し、ロアンゼルスに住み始めた。その後、パイプラインを建設するためにアメリカ中の街をあちこち訪れた。

彼には妻、Rhonda(ロンダ)、娘のダネット、息子のJoseph(ジョセフ)、そして両親と6人の兄弟がいる。

Daniel Brandhorst(ダニエル・ブランドホースト)、David Brandhorst(デイヴィッド・ブランドホースト)、Ronald Gamboa(ロナルド・ガンボア)

ダニエル・ブランドホースト、42才は、ハリウッド・ヒルズの丘の上にある家で、パートナーのロナルド・ガンボア、33才と3才の養子と暮らしていた。彼らはボストンでの休暇を終えての帰路の旅だった。

彼らは14年間一緒に生活をした。ブランドホーストは、弁護士兼会計士としてキャリアがあり、いつか大学教授になることを夢見ていた。ガンボアは陽気な男で、サンタモニカにあるGAPの店長だった。いつも茶目っ気一杯で、冗談を飛ばし、家庭的な男だった。

もし、ガンボアの妹か友人が、「あの子犬、可愛いよね」とか「夕日がとってもきれい」等と言ったら、ガンボアはこう言っただろう。
「僕はどうなの?」

両者とも小さな町からやって来た。ブランドホーストは、ニューヨーク州のリバプール出身、ガンボアはケンタッキー州アンカレッジ出身で、ニューヨークで二人は出会った。ブランドホーストがロサンゼルスに転勤が決まった時、二人で移ってきた。

海外旅行が大好きで、友人達ともよく外出し、家族とも頻繁に行き来した。幼児の時養子に迎えた、3才になる養子のデイヴィッドにはありふれんばかりの愛情を注いでいた。

Ruth Clifford McCourt & Juliana McCourt (ルース・クリフォード・マッコート と ジュリアナ・マッコート)
Ron Clifford (ロン・クリフォード)は、彼の妹、ルース・クリフォード・マッコートと4才の姪、ジュリアナが乗った飛行機が世界貿易センターに突撃した時、そのビルの中にいた。

「悲惨なことに、兄が1階にいた時、姉が乗ってた飛行機がタワーに突入したのです。兄は無事でしたが、精神的ショックをかなり受けました。」と、弟の John Clifford (ジョン・クリフォード) は言った。 

また、信じがたい偶然で、マッコートの親友の Paige Farley-Hackel (ペイジ・ファーレイ-ハッケル)が、アメリカン航空に搭乗し、それがもう一方のタワーに激突した。彼らは、ロサンゼルスで落ち合うことになっていた。 

マッコートは、昔の友人たちに会うためにロスアンジェルスに向かっていた。
「娘たちは、一緒に遊ぶのを楽しみにしていました。私たちはお互い良い友達だったので、娘たちにもそうあってほしいと思っていました。」
と、マッコートの高校時代の親友、Mimi Torp (ミミ・トープ)は言った。

マッコートはアイルランド出身で、パシフィック・パリセイズに住み、彼女の継父がUCLAの教授をしていた時、メリーマウント高校に通学していた。

彼女はボストンでエステ・サロンを経営していた。David McCourt(デイヴィッド・マッコート)と結婚し、家族はコネティカット州ニュー・ロンドンに住んでいた。

ルース・マッコートには、夫デイヴィッド、母親のポーラ・スコット、そしてロンとジョンの兄弟がいる。

Timothy 'Tim' Ward (ティモシイ・'ティム'・ワード)
ティム・ワード、38才、は、メキシカン・フードのタコスに魚を加えたものを南カリフォルニアに広めた、カールスバッドに拠点を置くファースト・フード・チェーン店、ルビオの重役だった。14年前、フィッシ・タコスを考案したレストランが3店舗、地味で目立たなかったが、商売を軌道に乗せつつあった。彼は店が株式市場に公開され成長するのを見届けた。

モデスト生まれで、高校生の時サンディエゴに移り、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校を卒業した。彼は熱狂的な演劇ファンで、市のバルボア公園内にあるオールド・グローブ劇場の定期入場券を購入していた。彼には両親がいる。

ワードはガールフレンドのリンダ・ブルートンとボストンで一緒だった。彼女は、北カリフォルニアにあるシスコ・システムズに勤務するが、社の会議に出席するため、ボストンにいた。彼女は火曜日、ワードを空港まで見送った。彼はそこから飛行機に乗って、サンディエゴの自宅までたどり着くはずだった。

Alona Abraham(アロナ・エイブラハム)
イスラエルの港町、アシドットに住む30才のアロナ・エイブラハムは、初めてのアメリカ旅行11日目を迎えた。彼女のいとこ、バンナイズに住むダニー・レイモンド は、イスラエルに住む彼女に、アメリカは平和で素晴らしい所だと称賛する内容の手紙を何年も書いて送っていた。

会社員のエイブラハムは、ついに訪米を決意した。また、生涯のパートナーになりそうなユダヤ人男性に巡り会えるかもしれないと期待していた。

「新聞やテレビで知っていただけのアメリカに来れて、彼女にとって全てが新鮮で、とても感激していました。実際に見たアメリカが想像していた以上に素晴らしい所だと思っていたに違い有りません。それに、アメリカの平和が気に入ったみたいでした。」と、レイモンドは言った。

エイブラハムの家族は、ボンベイ系ユダヤ人で、1950年代、イスラエルに移住した。レイモンドは、アロナは、全くインド人の容貌 --- 背が高く、驚くほどの黒い眼と茶色の髪の毛 --- だったと言った。また、友人や家族と一緒にいられることへの喜びと感謝や誰かと一緒にいることに対して も深い意味を感じ、暖かい心を感じとっていた、と彼は言った。 

Sue Kim Hanson、Peter Kanson、Christine Hanson (スー・キム・ハンソン、ピーター・ハンソン、クリスティン・ハンソン)
スー・キム・ハンソン、35才、彼女の夫、ピーター、32才、そして彼らの一人娘、2才のクリスティンは、ノース・ハリウッドに住む親類を訪ねる所だった。 

親類が語るには、系図学者のスー・キム・ハンソンは、4年ぶりに訪れる南カリフォルニアにとても大喜びしていたらしい。パサデナ生まれだが、子供の頃は韓国で過ごした。

ハンソンのいとこのフレンシイ・チョウは、日曜日の夜、来た時、何をごちそうしようかとたずねたら、
「彼女は、'韓国料理だけ。全部、韓国料理' と言っていました。」と語った。

彼女の夫はコンピューター会社の副社長で、マサチューセッツ州グロトンに住んでいた。ハンソンの兄弟といとこたちは、ノース・ハリウッドの家に集まり、ハンソンの両親が癌で亡くなったあと彼女を育てた、83才の祖母にそのニュースを知らせた。

「おばあさんは、彼女が死んでしまったなんてまだ信じられずにいます。今日は、その悲しみに浸り、一日中泣いています。」と、チョーは言った。

Touri Bolourchi (トゥリ・ボラウチ)
トゥリ・ボラウチ、69才、テヘラン生まれ、前看護婦は、英国で教育を受け、イスラム革命後、1979年に娘を連れて合衆国に移住した。

彼女の夫、内科医のアクバー・ボラウチは、彼らの後を追って2年後、合衆国に移住し、ビバリーヒルズで開業した。二人は、テヘランの婦人専用病院で、彼女が看護婦、彼が内科医として勤務していた時知り合った。彼女はベテラン看護婦として知られていただけでなく、トルコ語、英語、フランス語、イタリア語、アラビア語、ファーシ語等、6ヶ国語を話し、随分重宝がられた。 

トゥリ・ボラウチは、ボストンに住む娘、ロヤ・トゥランと二人の息子たちと二週間過ごし、9月11日のフライトで帰路につくはずだった。

「'今度は、ロサンゼルスで会いましょう。'と、母は言いました。母が微笑んだ時の顔はとても素敵でした。」
と、トゥランは言った。 

トゥリは、2年間ボストンには行っていなかった。
「妻は、飛行機に乗るのが怖かったのです。」
と、夫は言った。何年か前、彼女のいとこ2人をヨーロッパとアフリカで飛行機事故によって亡くしたと、彼は説明した。

彼女には、夫、娘ニーダとロヤ・トゥラン、そして孫息子たち、ボビー・トゥラン、15才、そしてエイヴォン・トゥラン、10才がいる。 

James M. Roux(ジェイムズ・エム・ロー)
弁護士だったジェイムズ・エム・ローは、彼の兄(弟)、David(デイヴィッド)が創立したシリコン・バレー投資会社に勤務するために、メイン州ポートランドから、北カリフォルニアに移ってくるところだった。

「ジミーとは幼なじみで、親友だった。それと、彼はとても面白い男だった。」
と、メイン州ルイストンにいた1967年、小学校3年生時分からローを知っている、ウエスト・ロス・アンジェルス在住の David Davis (デイヴィッド・デイヴィス)は言った。

ロー、42才は、ネパールを訪れた際、ネパールの虜になり、カトマンズに、ネパール人のパートナーと一緒に事務所を設立した。ローは最近、シェルパ・ガイドの代表を引き受けた。彼らの役割を知らせ、彼らの存在を高める宣伝をするつもりだった。

ローの伯父、James Longleg (ジェイムズ・ロングレッグ)は、1970年代、メイン州の無所属派知事として就任した。

ローには、息子二人、兄弟5−6人、そしてメイン州に住む母親がいる。

John 'Jay' Corcoran(ジョン・'ジェイ'・コーコラン)
船舶技師のジョン・'ジェイ'・コーコラン、45才は、マサチューセッツ州ノーウェルの自宅から、ロス・アンジェルス出港コンテナ船に乗務する途中だったと、海軍技師信託組合の代表者は言った。

ロング・ビーチの組合代表者、Al Camelio(アル・カミリオ)は、コーコランは、ボストン生まれで、マサチューセッツ海軍学校を1979年に卒業後、遠洋航行貨物船に勤務していたと言った。ここ数年間は、84日間航海の厳しいスケジュールをこなし、84日間、家で過ごした。彼には、妻、Diana(ダイアナ)、Megan(メーガン)、17才、Jake(ジェイク)、14才の子供たちがいる。 

「彼はユーモアのセンスがあって、いつも微笑み、良い男だった。誰からも好かれていた。」と、カミリオは言った。

「家にいる時、家族と何をしたか話すのが好きだった。彼が家庭的な男だったということは、きまり文句だが、彼は本当に家庭的だった。彼を思い出すとすれば、そういう彼の家族思いのところだ。」と、カミリオは言った。

Dorothy A. Dearaujo(ドロシィ・エイ・ディアロージョ)
ロングビーチ海岸沿いの整然とした一角に住むドロシィ・エイ・ディアロージョは、'我が町の芸術家' として知られていた。彼女は、近くの運河、ボート、店、住宅などを、事細かく色鮮やかに描く水彩画家だったからだ。 

ディアロージョ、陽気で且つ自立した82才の女性は、20年以上ひとり暮らしを続け、フランス、イタリア、ブラジル、ハワイなど、様々な風光明媚な場所や博物館を訪れた。 

ディアロージョは、69才で、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校卒業、芸術学士号を取得した。彼女は1ヶ月前、マサチューセッツ州ベッドフォードに住む息子、Tim(ティム)に会いに行ったと、隣に住む Earl (アール)、 Karen(カレン) 、Anderson (アンダーソン)夫妻は言った。

「私は、彼女が戻ってくるのを楽しみにしていました。彼女は、私たちの家の絵を描いている途中で、いくつかの花を家の周りに描いてから仕上げるつもりでしたから。」
と、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で地質学講師をしているカレン・アンダーソンは言った。

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明日は必ず来ると信じている私達にとってこの事件は、明日が来ないこともある得ると言うことを教えてくれたのではと思います。私達にとっての大きな課題は、日々の生活の中で悔いのない一日をいかにして送る事が出来るかという事なのかもしれません。

テロ事件により亡くなられた方達には心からご冥福をお祈りいたします。

又遺族の方達が一日も早く悲しみから立ち直られる日が来る事を祈らずにはいられません。

 

資料参考: LA TIMES
翻訳および監修: Yoko Senesac & Kiyoko Wakamiya

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